2004年8月25日にリリースされたBUMP OF CHICKENのアルバム「ユグドラシル」収録曲
ミディアムテンポで他国感の強い世界観のあるこの曲、好きな方も多いのではないでしょうか
コンセプトとしては社会人として勤める「仕事」についてを描いた曲であり
タイトルの「ギルド」も中世ヨーロッパにおける同業者組合を意味しています
「人間という仕事」という、あたかも人間でなかった者の目線から仕事についてを綴っているように見えますが
その仕事自体がよからぬものであり、それをさも「人並み」のように思わせる「仕事」とは、結局自分たちにとってどういう価値があるのか
仕事が持つイメージの断定はしておらず、どっちともとれるような歌詞ですが、おそらく答えは出ているものと思われます
バックサウンドとしては炭鉱で働いているような金属音が流れており
あまり日本を思わせない感じがタイトルからも想像できます
BUMPはこういったファンタジー色の強いものをよく歌いますが
仕事に関する一種の叙情はよく働く日本人をモチーフとしているのでは
少なくも日本で歌う曲ならば日本人が共感を得られるようにすることが前提となりますが
ジャケットは人形のであり、2006年9月には映像作品「人形劇ギルド」もリリースされています
学生の最中バイトをしている者ならまだしも、無邪気に遊ぶ子供にはあまり共感が得られにくいでしょうが
BUMPがあまり狙わない層である大人だったり、実際に働いている人からすれば現状を再認識させるきっかけになるかもしれません
とはいえ決して仕事自体にいちゃもんをつけるわけではなく、本当にそれが自分の目指していたものなのか
イエスならばそれでよく、少しでも疑問に思った人に対してこの曲は聴かれるべきなのでしょう
「汚れちゃったのはどっちだ 世界か自分の方か」
世界とは自分を取り巻く社会、そこで仕事をする自分に問題があるのか
それとも仕事というシステム自体に問題があるのか
「それがすべて 気が狂うほどまともな日常」
そういった仕事の繰り返しに疑問を抱いても、自分にとってはそれが日常であり
日常という普通なイメージの言葉が実はそれ自体おかしかったという矛盾を表しています
ただ世界にまともなものは実はなく、じゃあ何がまともなのかというと
自分がしたいと思うことが、道徳性を保持しつつ達成できる社会であったり、自分の人生であり
それがどんなに突拍子がなくても、それが自分の望み=まっとう(まとも)なものであるという意味なのでしょう
「人間という仕事をクビになって」という、一見否定的なイメージの言葉を使用していますが
それが実は本人にとっては否定したいことではなく、むしろ肯定すべき場面にとれなくもありません
それが能動的な辞職なら進むべき道は決まっているといっていいでしょうが
受動的な辞職、つまり本当にクビになった場合は、それが望んでいたことなのに、人はそれを悲しむ
やりたくない仕事なのに、いざクビになると稼ぎが途絶え、つらくなる
そんな感情少しずつ刷り込まれていくことが気が狂っていると揶揄される程の日常と化しているのでしょう
なにがいいのか、なにが悪いのかはともかく、自分が今ある立場が本当に求めていたものなのか
それを「仕事」を題材としてこの歌詞が載せられているのでしょう
この曲は決して100%前向きであったり、100%後ろ向きであったりというハッキリとした曲ではありません
仕事に翻弄された結果、どちらがいいのか判断がつかないが、各々の解釈で判断はしてもらいたいという
一種の決断された迷いのようなものを感じさせる曲であります
故に悲しすぎず、楽しすぎない微妙な感情の歌い方が必要であるため
多少元気さを抑えた感じで歌うのが相応しいといえます
いくつか問いかけのような歌詞が多く、それを歌い手の経験に載せて歌えば、実は十人十色な曲に仕上がる可能性もあります
歌い手が今まで経た経験が実をこの曲に載せると多用な考えが現れると思われます
あまり高音な場面はありませんし、Aメロも基本的に低め故、歌いづらいということはないでしょう
問題は歌詞の深さといろいろな解釈をどうするか、それこそ考えすぎず自分の思う決断や迷いを載せればよいかと
自分の現状や社会について考えさせられるこの曲
決して否定的にならず、自分の今後も踏まえて客観的に考えるきっかけになればよいと思います